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一日一駄話
“茶室彼是(ちゃしつあれこれ)【89】”
本日は日曜日!数寄屋大工一家の箱入り娘、寺田 由のコーナーです!

前回の「茶室彼是」では、「数寄(すき)」という言葉についてご紹介しました。
詳しくはコチラ→★
茶室は「数寄屋(すきや)建築」と呼ばれています。
「数寄(好き)」を極めた人のことを「数寄者(すきしゃ)」。
なぜ茶室は「数寄屋」なのでしょうか。
そんな疑問にヒントをくれたのが、岡倉天心の『茶の本』という一冊。
この本は、明治時代に岡倉天心がニューヨークで刊行した、
茶道の観点から日本文化を紹介した英語の本。
いわば逆輸入で今日の私たちが日本語で読むことができる、少し不思議な来歴をもつ一冊でもあります。
(手元の本は、1982年刊行のものを古書店で見つけました)
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数寄屋(茶室)=好き家
(※牛丼屋さんではありません)
つまり「持ち主の美意識や好みによってつくられる小屋」という意味合いだそうです。
でも、茶室こそ決まりの多く研ぎ澄まされた空間!という印象があるのですが、どうなんでしょうか。
その真意を岡倉天心先生に聞いてみましょう。
岡倉天心は日本の茶室を
「質素で不完全、しかし自由で平等な空間」
として捉えました。
西洋文化では巨大で豪華、物質的な進歩を象徴するような建築物が象徴的な印象ですが、それに対して日本の茶室は質素で不完全であるからこその美しさがあるといいます。
“茶室は見たところ、なんの印象も与えない。
それは日本の一番狭い家よりも狭い、
それにその建築に用いられている材料は清貧を思わせるようにできている。
しかしこれはすべて深遠な芸術的思慮の結果”
簡素であることは、むしろ手間と精神を注ぎ込んだ空間。
日本人にとっての美とは、物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさ。
地味であるけれど、それこそが贅沢でもある。
それが茶室なのだと改めて感じさせられます。
最後に、岡倉天心はこんな言葉を残しています。
“今日は工業主義のために、真に風流を楽しむことは世界の至るところますます困難になっていく。
われわれは、今まで以上に茶室を必要とするのではなかろうか。”
『茶の本』が出版されたのは、日本が急速に西洋化し近代国家へと進んでいた時代。
その時すでに岡倉天心は「日本人には茶室が必要だ」と語っていましたが、この言葉は情報と物質にあふれた現代を生きる私たちにもそのまま響きませんか?
まだまだ数寄屋というものが日本人に十分に知られているとは言えないと思うと、まだまだこれからも発信していかなければ!と意気込んでしまいます。
さて、年の瀬でございます。
今年も一年、不定期な「茶室彼是」や「SOU・SOUあれこれ」にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
コメントをいただいたり、ご来店の際にお声がけいただき、何よりの励みになっています。
拙い文章ではありますが、来年もお付き合いいただけましたら幸いです。
それでは皆さま、
良い新年をお迎えくださいませ。
《つづく》
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それでは、また明日。
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