毎日更新!SOU・SOU読本
“仕事”
ショップディレクターの徳治がおもしろい記事を見つけたと教えてくれた。
以下、かなり長いですが転用します。
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興味深い記事を読んだ。
12月18日毎日新聞夕刊に東大で行われた学生実態調査の報告についての短信である。
学部学生3534人(回答者は1367人)対象のアンケートで「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%、「ニートにはならないが、フリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%。
あわせて28.3%の東大生がいずれニートかフリーターになる可能性を感じている。
この数値の経年変化にも興味があるところだが、記事では触れられていない。
個人的予測を述べさせてもらえれば、数値はこの後も増え続けるだろうと思う。
東大生が就職にきわめて有利なポジションにいることはどなたでもご存じである。
だから、彼らがそれでも「ニートかフリーターになるかもしれない」と思っているのは、「就職できない」からではない。
新卒でちゃんと一流企業や官庁に就職はするのである。
オフィスにばりっとしたスーツを着て通勤し、きびきびと働くであろうということは確実に予測されているのである。
でも、ある日、不意に仕事に行く気がしなくなり、通勤電車のいつもとは逆方向の車両に乗ってそのまま「海を見に行って」しまったり、朝だるくて起きられず、そのままずるずると休み続けているうちに会社に行く気分がなくなってしまう自分の姿が妙にリアルに想像されるのである。
どうして、「不意にやる気がなくなる」のか、その理由はわからない。
でも、「不意にやる気がなくなる自分」には鮮やかなリアリティが感じられる。
たぶん、そういうことではないかと思う。
だから「ニートかフリーターになるかもしれない」という不安を彼らは払拭できないのである。
私はこの「不安」は構造的なものであると考えている。
ニート・フリーター問題についての本を書いたが、その中で「労働は憲法に定められた国民の義務だから働け」ということを書いた。
たぶん、若い読者のほとんどはその意味がわからないだろう。
「ふざけたことを言うな」と激怒する人もいるかも知れない。
「働きたいけれど働く先がないのだ。これは個人の決断や趣味嗜好の問題ではなく、アンフェアな社会構造のもたらす問題である」というのがニート・フリーター問題における「政治的に正しい」回答である。
申し訳ないけれど、私はこの考え方の「働きたいけれど」という部分に実は留保を加えている。
働きたいのになかなか仕事に就けない若者は「自分に向いた仕事、自分の適性や能力を発揮できる、クリエイティブで、見栄えがよくて、できれば賃金の高い仕事で」働きたいという条件に呪縛されているからである。
残念ながら、若い人に提供される就職口の中で、そのような条件を満たすものは1%もない。
99%の就労者は「自分に向かない仕事、適性や能力を生かせない仕事、創造性のない仕事、見栄えの悪い仕事、賃金の安い仕事」のどれかまたはすべての条件を満たす仕事を選択しなければならない。
だから、彼らがある日ふと「もう会社行きたくないな」と思ってしまうのは当たり前田のクラッカーなのである。
仕事を彼らは「自己表現」のようなものだと考えている。
だから、気むずかしい芸術家が途中まで仕上げたキャンバスを「こんなものは私の作品じゃない」といってばりばりと引き裂くように、「こんなものは私の仕事じゃない」といって蹴飛ばすことが当然だろうと信じてしまうのである。
なるほど、労働が自己表現であるならば、そのようなふるまいはたいへんつきづきしいものである。
しかし、残念ながら、労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。
とりあえず労働は義務である。
現に、「すべて国民は、すぐれた芸術作品を創造する権利を有し義務を負う」という規定は日本国憲法のどこにもないが、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」ということは憲法27条に明記してある。
労働は国民の義務なのである。
「条件が揃っていれば働いてもいい」というような贅沢を言える筋の話ではないのである。
「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の中の決まりなのである。
なぜなら、人間はなぜ労働するのかということの意味それ自体が労働を通じてしか理解されないからである。
これについてはヘーゲルの理説を引くのが捷径であろう。
「人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけである。人間自身が現実に、客観的に自然的存在者以上のものであり、それと異なったものであるのは人為的対象を作り出した後であり、人間が自己の人間的かつ主観的な実在性を真に自覚するのは、ただこの実在する客観的な所産においてである。(・・・)労働することによって人間は精神を『体現』し、歴史的な『世界』となり、『客観化された』歴史となるのである。」(アレクサンドル・コヴェーヴ、『ヘーゲル読解入門』)
別にむずかしい話ではない。
小説を書かない作家、音楽を演奏しない音楽家というのが論理矛盾であることは誰にでもわかる。
「いいから、まずなんか書いて見せてよ」とあなただって言うだろう。
「それを読んで、どの程度の作家だか判定するから」
労働だってその点では同じである。
「いいから、まずなんか仕事をしてみなよ」と私たちは若者たちに告げねばならない。
「それを見て、君がどの程度の人間だか判定するから」
人間の適性や能力や召命は、労働する人間が「主観的にそうありたい」と願うことによってではなく、いかなる「実在する客観的な所産」をこの世に生み出したかによって事後的に決定される。
能力や適性は仕事の「前」にあるのではなく「後」に発見されるのである。
それに、自己表現としての芸術創造よりも、労働の方がずっと達成度についての判定は「甘い」。
だって、芸術の場合は「他人と同じこと」をしたら、それがどれほど高度の技術や熟練や努力の成果であったとしても「無価値」と判定されるからだ。
でも、労働の場合は「他人と同じこと」をしても、それが客観的に有用なものを生み出している限り、高い評価を得ることができる。
麻雀の用語を用いていうなばら、芸術は「アタマハネ」であるが、労働は「ダブロンあり」なのである。
労働は達成感を容易に得ることができる。
芸術はそれに比してはるかに要求が苛烈である。
そして、まことに不思議なことに、今の若い人々は労働を「義務」だと考えることを忌避し、それがまるで自ら進んで自己実現のために行う「創造」でなければならないと信じ込んでいるようなのである。
それではたしかに、ご本人にとっては苦しいことであろう。
「義務」を果たしている人に周囲は優しい(いやなことに耐えているわけだから)。
「創造」に苦悩している人に周囲は冷たい(頼まれてもいないことに血道を上げているわけだから)。
久しく労働は(主観的には楽しくても、制度的には)義務であり苦役であった。
しかし今、労働は創造となった。
そのせいで仕事をする人々はその定義上、仕事をつうじて絶えず自己実現の愉悦と満足にうちふるえていなければならなくなった。
苛酷な条件である。
絶えず創造し続け、絶えず快楽にうちふるえていなければならないという重圧に耐えかねた創造的労働者たちの中から「自分らしい作品ができないくらいなら・・・」と沈黙と無為の道を選ぶようになる者が出てきても怪しむに足りない。
ニートやフリーターはこの「創造的労働者」の末路である。
東大生たちはあるいは「創造的労働者であること」「余人を以て代え難い唯一無二の労働者であること」により強い動機づけをなされているのかも知れない。
そうだとすれば、彼ら自身が不安に思っているように、遠からず東大卒がニートやフリーターになる可能性は予測される30%に限りなく接近することになるだろう。
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つねづね考えていたことが的確に書かれていた。
僕は好きなことや夢を追いかけるのは、みながやることではないと思っている。
臼井さんは、いくら儲からなくても伊勢木綿をやめてはいけないし、田端さんは、いくら手が腱鞘炎になっても音響の仕事には戻って頂きたくない。
これは国民の願いと言っても過言ではない。
好き嫌いは別として「自分がやらねば誰がやる」という仕事もある。
仕事というのは、好きなことをやっている人だけが幸せなわけではない。
例えば、何でも良いから目の前の仕事に一生懸命に打ち込む。
その結果、誰かが喜んでくれる、あるいは誰かが認めてくれる。
それらが嬉しくて、またその仕事に打ち込んでいく。
そうしてるうちに、いつのまにか名人になってるかもしれません。
こういうことが、仕事をする上での幸せなんやと思います。
こういうことがないと、いくら好きな仕事をやっていても幸せとは言えないのではないかと思います。
まー僕はこんな考えです。
駄文失礼致しました。
画像は上タンを焼くヤテ
それでは、また明日。
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“冠”
“絵葉書プレゼント”
SOU・SOUのホームページにある日替わりのブログ「一語一絵」の一番下には、絵葉書プレゼントキーワードというのがあります。
これは何かと言いますと、お店やnetshopでお買い物をしてくださる際に、このキーワードを言って頂くと、
月替わりのSOU・SOUオリジナル絵葉書をプレゼントします─ということです。
着衣2Fにあります「しつらいの間」にて毎月展示される原画の中から1枚が絵葉書になります。
これを集めて下さっているお客様もおられて、たかが絵葉書ですが作りがいがあります。
そしてコチラ
刺繍ステッカー
絵葉書はあまりいらないという方もおられるかと思い、こんなものを考えてみました。
今はまだサンプル段階ですが、色を少し調節して量産します。
もうしばらくお待ち下さいませ。
そして、引き続きハッシーのバカ画像にもお付き合い頂けると幸いです。
それでは、また明日。
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“浴衣&下駄”
企画室長のハッサン
netshopディレクターのヤテ
僕は先日新しい下駄をGET
前に買った革エナメルの鼻緒は、おろしたては痛かったけどこれは全く大丈夫です。
(ちなみに、このがんじがらめの鼻緒の下駄は、近日中にnetshopに登場します)
地下足袋の良さを広めたいとは常々思っていますが、下駄の良さも同様に知ってもらいたいなと思います。
こんなに履いていて気持ちのいいのもないです。
是非お試しください。
それでは、また明日。
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“焼肉&カラオケ”
市内某所にある予約不可の焼肉屋。いい感じ。
この人と
この人達がお待ちかねでした。皆ワコールの方です。
マッコリってこんな飲み方やったか?
肉を焼きます。ウマイ!
SOU・SOUのメンバーはこのメンツ
気がつけばこの方は、アルコール度数の強い「うわずみ」を浴びるように飲んでおられました。
閉店まで飲んだ後
カラオケに
カンパーイ!
歌う姉御。貫禄たっぷり。
昭和の名曲を歌いこなす
ミナミの帝王に出てきそうなこの方は
力と書いてリキ!リキ!
ミナミと書いてリキ!リキ!
作詞 作曲 宮藤官九郎
唄 グループ魂
城さんは
ブルーハーツ
歌い慣れておられます。
ウチのメンバーについては割愛させて頂きます。
とても楽しい夜でした。
それでは、また明日。
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“新しいこと”
はじめようと思っています。
そこで、辻村久信デザイン事務所の若いスタッフ、桑田さんと
柴田さん
もう少ししたら、また報告いたします。
朝、麦わら帽をかぶって出勤してきた古川
よりリボンの騎士感が出ていた。
続いて出勤してきた本間。
染織倶楽部で2ショット
本間は実はこれで思いっきり目を開けている状態です。
ふだんは半眼なのです。
それでは、また明日。
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“結果発表”
KBS京都さんに頂いたカレーは、厳正なるアミダクジ抽選の結果、下記の方に当たりました。
おめでとうございます。
さて、先日改めてネットでSOU・SOUを検索してみたら
「SOU・SOU ユニクロ がっかり」とある。
これは、「SOU・SOU ユニクロ がっかり」というワードを入れて関連記事を探しているということかな。
ところで、FBにもUPしましたが、amazonと楽天にはムック本の在庫があるみたいです。
買い逃した方は是非。
ちなみに先週は13位でした。
ところで、この総数1億2千万って何?
すごい数やけど・・・
付録について書かれている、こんなサイトも発見
この方がコメントに書いてくださっているように、素材はコットン100%です。
初版で誤植が見つかり、重版の際に修正を入れました。
そして、こんなサイトも。「京都のおじいさん」やって。(naverまとめ)
こういうのって勝手に作られるんですね。
まーいいんですけど。
最後に、大変ご好評を頂いております「ちょっと理由あり手ぬぐい」セールについて
一部追加されている柄もありますので、この機会是非。
それでは、また明日。
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“水の会”
今年もお邪魔しました「水の会」。
麩嘉さんの前は人だかり
和笑さんに誘って頂いたのでした。
麩嘉さん前の駐車場には屋台が
老舗料理屋ばっかりです。
焼きそば食べるヤマ
おろし蕎麦食べるキーヤン
金魚すくいもやっていた。
一生懸命がんばっているヤマ。
僕もやりました。
黒の出目金GET
横で女の子が茶碗持って暴れているから金魚が猛スピードで逃げまくる。
しかし、着ているじんべいを見ると、怒るわけにはいくまい。ここはじっと我慢だ。
なんとか4匹GET
もちろん水に戻しました。
女の子はたくさんもらったようだ。
暗くなってきて、より風情が出ました。
楽しい会でした。
いつか、こんな会がSOU・SOUでも出来たらいいなと思います。
それでは、また明日。
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“ショートカット”
“たかが浴衣”
新作足袋下検品中のヤマ
電話中のチリチリパーマ、マム
前髪切って、若い黒柳さんになったアラタケ
東山三十六峰 全景をまとった金襴倶楽部部長
パンチパーマはどうか思いとどまってほしいシーモオーカー
SOU・SOUのデスクワークくらいなら、浴衣着てても全く大丈夫です。
女性はより美しく、男はワイルドに落ち武者に見えます。。
それでは、また明日。
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“KBS京都ラジオ 出演”
「あーご無沙汰していますー」
アナウンサーの遠藤さん
「こんにちはー」
ディレクターの田中さん登場。初期からのSOU・SOUファンと言ってくださった。
本番前の打ち合わせを軽くすませ
いきなり放送が始まってビックリしました。
ディレクターの田中さんが持たれているバッグは、10年前に作ったもの。
CD BAGです。
ADの方はSOU・SOU lecoq sportifのシャツを着ておられました。
写っていないけど、中のTシャツはユニクロとのコラボ商品。
足袋下も履いてくださっていました。
放送終了後に皆で
僕はなんか車椅子に座っているみたいです。。。
お土産に頂いた総長カレー
スタッフで抽選します。発表はTwitterにて。
それでは、また明日。
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“KBS京都”
本日11時よりKBS京都の「妹尾和夫のパラダイスKyoto」という番組におじゃまさせて頂きます。
もしもお聴きになれる場所におられる方はぜひ。
通りづらさに定評がある僕の声は、聴いていてストレスかもしれませんが。。。
コチラは放送作家の倉本美津留さんと。青山店にて。
ある会員向けの雑誌の対談でお話させて頂きました。
質問された事に答えていましたので仕方ないかもしれませんが、僕ばっかりしゃべっていました。
放送作家という職業にすごく興味があるので、本当は聞いてみたい事いっぱいあったんですが。。。
まー仕方ありません。
最後は、最近作った傘立て
京都の竹又さんでつくってもらった高級品。
斎藤、道解、三谷壊すなよ!なにげに米野も心配や。。。
それでは、また明日。
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“町内福引”
お盆が終わると、京都では地蔵盆や町内の福引などの行事があります。
SOU・SOUがある中之町から福引券が配布されたので 「行って来ます!」
スタスタ
スタスタ
2回お願いします!
ゴソゴソ
はい
おい、158番
はい、やかん
ケトル IH対応
もう1回
はい、6番
これ
なにこれ?
使うかなー
デザイン的にハッサンに却下されそう・・・
毎年必要ないものばっかり引き当てています・・・
それでは、また明日。
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“本”
いつもお世話になっている工務店の社長に「読んでみたら」と渡された本。
『成功の実現』中村天風。とても好きな人です。
僕は、成功とはその人の中にあるものやと思っています。
大きい会社に入った人も小さい会社に入った人も、
たくさんお金をもらっている人もそうでない人も、
友達が多い人も全然いない人も、
死ぬほど働いている人もだらだら生きている人も─
それぞれが成功できます。
そう思えていない人は、まだそのことに気づいていないだけです。
ただし、ちゃんと自立できていることが前提ですが。
そしてこちらは読もうと思ってまだ読んでいない、カレー界で成功の実現をした男性の本。
アップで
どちらかというと『カレーの風呂につかりたい』というタイトルの方がいい気もします。
それでは、また明日。
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“味平(129)四川飯店”
“茶碗2つ”
しつらいにやって来た茶碗「松」
ポップなタッチがSOU・SOUの和菓子にも良く合いそう。
こちらは、青山店にやってきた茶碗「桜」
茶碗て「正面」から見たところに絵が描いてあって、裏面が無地なものが多いんです。
潔いくらい。
それでは、また明日。
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“ショートムービー 傾衣編”
“ショートムービー 着衣&しつらい編”
今日のムービーはSOU・SOU着衣。
余裕のアッスーに対して中西が不慣れな顔やな。
こちらは着衣にあるレアな扇子。1点ものです。
着衣の奥階段を2階に上がっていただくと、しつらいの間がございます。
ムービーをどうぞ
こちらは僕が陶芸家の北野さんに頼んで作っていただいたもの。呼継(よびつぎ)。
四つの茶碗を割って金継ぎしたものです。
しつらいの間にて使っておりますので、是非一度お手にとって見ていただければと思います。
今月のお菓子も冷たくて美味しいですよ。
是非ご賞味くださいませ。
それでは、また明日。
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“ショートムービー 布袋編”
SOU・SOU布袋では、京都店限定商品があります。
一つ目はこちら。
伊勢木綿の「ほおずき」という名前の手さげかばんです。
外側にポケットがついています。持ち手は革製です。
数に限りがございます。2900円。
もう一つはこちら。
革穏 小
少し小ぶりの穏です。9900円。
京都にお出かけの際には是非SOU・SOUにもお運びください。
最後はSOU・SOU布袋ムービー
黒澤の笑顔がわざとらしい。。。
それでは、また明日。
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“あったかいですね”
こんな日にはスタッフのバカ動画でも見て涼んで下さい。
トク
澤田
女性も容赦ありません。古川
福田。変身にアレンジ入れてみました。
オオトリはパンチパーマをかけようか本気で迷っているシーモオーカー。変身具合ムチャクチャです。
涼しくなりました?
なりませんね。スミマセン。
それでは、また明日。
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