毎日更新!SOU・SOU読本
“SOU・SOUへの道(48/完)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
SOU・SOU足袋青山店は、途中で「選sen青山」という形態に変えた。お客様のニーズは、地下足袋だけでなくウェアにも及んでいたからだ。
とはいえ、14坪の小さいスペース。置ける量に限りがある。netshopを見てお店に来ていただいたのに、欲しいものがなくてがっかりさせてしまっては申し訳ない。そこで、SOU・SOUのセレクトショップという形にしようと考えた。
例えばコンビニの中にあるMUJIの商品とか、駅構内にある小さなユニクロのショップのように、選ばれたものだけを扱う小さな店。「SOU・SOU選sen青山」という店名にしたのはそういうことだった。コンセプトは「SOU・SOUの選りすぐりを扱う店」。
この業態変更ははお客様に受けが良かったのか、足袋だけの時に比べると売上げが約2倍になった。そして、その後もお客様のニーズはもっともっと大きくなっていったように思う。
ちょうどその頃、ヴィーナスフォートにあった東京店の契約があと半年で切れそうになっていた。当初4年で終わる予定が、気づけば10年も経っていた。
ここらでSOU・SOUは次のステージに行くべきかとの思いがよぎったが、東京店の売上げはよく、アパレル部門の坪売上げでも常に1位か2位をキープしていたので商売的にはそこに留まるのがいいと思った。
しかしながら、SOU・SOUのオリジナルの世界観というものを出していくには、ヴィーナスフォートの館内では少しイメージが違うのも確かだ。今までに何回もお客様から同様のコメントも頂いた。
これを機に、心機一転新しい場所でやろうと思い、ついにヴィーナスフォートを出ることを決めた。ヴィーナスフォート側からはかなり止められたが、こればかりは仕方がなかった。
そして、足袋屋から選senに変えたばかりの青山店も、すでにキャパを超えているように感じていたので、いっそこの2店舗を1つにした路面店をやろうと思った。
原宿、渋谷、代官山、銀座、日本橋とつぶさに見て回ったが、結果的にやはり青山がいいと思った。どうやら今青山はトレンドから少し外れているようで、家賃も下がっていた。僕はトレンドから外れているものが大好き。その方がSOU・SOUにとっては好都合なことが多い。
そして、今回オープンした場所は、約1年間空いていたテナントビルだった。50坪あって、骨董通りからすぐ近くという立地。選senがあったFrom 1stから直線で徒歩3分というのもよかった。
いろいろ考えた結果、ここにした。
2店舗あわせた新店は、「SOU・SOU KYOTO 青山店」にした。KYOTOと付けたのは、SOU・SOUが東京の会社だと思ってる人が意外と多いから。
そうやって考えてみると地名が付いたお店や会社がたくさんある。例えば「九州ラーメン」「広島お好み焼き」「銀座アスター」「Hermes Paris」「Donna Karan New York」「BURBERRY LONDON」……どれもわかりやすい。それなら「SOU・SOU KYOTO」だ。
そして、「青山店」の呼び方は「あおやまてん」ではなく、呉服業界風に「あおやまみせ」にした。
全48回に渡ってご紹介しましたが、これがSOU・SOUをはじめてから今回の青山店ができるまでの「SOU・SOUへの道」です。本日3月8日がちょうど10年の節目です。
長きに渡り、駄文にお付き合いくださいましてありがとうございます。また次も何か思いついたらお話したいと思いますので、そのときはお付き合い頂ければ幸いです。
最後は青山店で記念撮影。
それでは、また明日。
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“帰京”
ようやく京都に帰ってきました。
青山店のオープニングレセプションでは、信じられないくらい大勢の方々に来て頂きまして、僕もスタッフもかなりあわててしまいました。
ちょっとだけ当日の様子を。
オープン直後、列を作ってお待ち頂いていたお客様がご来店
店内いっぱいになりました
挨拶をさせて頂きました
いつになく真剣な顔をして聞いているのは、下ネタ王・シーモネーター(ルコックデザイナー・麻谷さん)
脇阪さんに乾杯の音頭を
堀淵さんや
キーヤンにも一言お願いしました。
ちょっと写真が多過ぎて全然整理出来ていないので、明日またご紹介させて頂きます。
今から打ち合わせです。
それでは、また明日。
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“傾衣でおでかけ AMAGUCHI in PARIS”
本日の傾き人は、知り合いじゃなければ決して話しかけたくない男でおなじみ尼口さん
どうですこの傾きっぷり。パリジェンヌからはアジアの大富豪に見えたかもしれません。
仕事で行くとは思えない量の服を持って行かれたはず。
さすがは尼口さんです。これからもカマシてやって下さいませ。期待しております。
それでは、また明日。
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“ストーリー(2)”
あっ、僕のキライなSOU・SOUの人や
相変わらず変なカッコウしてまんなー
今日はこの本買いに来たんや。SOU・SOUは買わへんでー。
この人、SOU・SOUの人なんや。僕、キライやねん。
えー、なんということでしょう。
私なんか上も
このもんぺも
SOU・SOUですよー
ホンマでっかー
なんか知らんけど、店帰るわ。タクシーッ!
よねむらまで行ってー
ちなみに、僕はオーナーシェフやでー
それでは、また明日。
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“ストーリー(1)”
“テキスタイルカバー第6弾予約&フィクション”
3月に入りました。
テキスタイルカバーの予約もスタートしています。
PC、スマホのかべ紙も
いかがですか。
そして、こちら
「多部ちゃん、最近気に入っているものがあるんだって?」
「はい、そうなんです。これなんですけど、京都の荒川益次郎商店という老舗和装小物の会社が、SOU・SOUというテキスタイルブランドとコラボして出来た風呂敷なんです。これは、小さいほうのサイズなんですけど、大きいのもあるんですよ」
「70年代のテキスタイルに“間(ま)”というのがあるんですけど、それを再構築して出来た“間がさね”という柄なんです。配色がとてもポップで気に入っているんですー」
「いやーん、すいませーん。こんなこと、ペラペラ宣伝しちゃってー」
この駄話はフィクションです。
そして、SOU・SOU KYOTO 青山店は、いよいよ明日OPENです。
17時からですので、お間違えのないようによろしくお願いします。
それでは、また明日。
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“本”
“卒業”
昨日を持ちまして、SOU・SOU東京店はヴィーナスフォートより卒業しました。
皆様、本当にありがとうございます。
そして、SOU・SOUからはこの二人が卒業しました。
定村(右)と酒井(左)
二人とも結婚します。おめでとう。
定村は約8年勤めてくれました。お客様や取引先から「あの人は本当にSOU・SOUが好きなんですね」と言われた最初のスタッフだったと思う。
でも、ビールの方がもっと好きでしょう。
結婚して山口県の萩に行ってしまいますが、そちらでも田んぼのカエルと共に元気に暮らして欲しいと思います。
酒井はnetshopの仕組みづくりに大変貢献してくれた。僕が見えていない現場の細部に気を配ってくれていたと思う。netshop急成長の中で本当に大変だったと思うが、それもきっと良い経験になると思う。
実は、彼女は結婚をしてカイロプラクティックの資格を取得するため勉強を始めるそう。新しい道でも、是非頑張ってほしい。
写真は、大好きなはるかとピースサインするサダ
イヤミにそっくりです。
それでは、また明日。
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“東京店最終日”
いよいよ本日、SOU・SOU東京店の最終日です。
思い出が詰まった東京店を閉じるのは、なかなか感慨深いものがあります。
東京店をオープンするにあたっては、設計の段階からバタバタしていて、辻村さんがいそがしくて京都におられなかったので、東京の京王プラザホテルで打ち合わせをした覚えがあります。
打ち合わせが終わった後、辻村さんが「じゃあちょっと寿司でも行きましょか」と言われたので、同じ京プラ内にある小さな寿司屋に入った。
そこでビールを注文した後、「まあ、軽くお任せしますわ」と店の人にオーダーした。そして、小一時間ほど寿司をつまんで、じゃあ帰りましょかと言って伝票をチラッと見たら、すごい金額が書かれていた。
僕はそんなお金を持っていなかったのでオロオロしていたら、辻村さんが「あー、この部屋番号にまわしといてー」と大人なコメントをされた。しかし、目は泳いでいて、酔いは完全に醒めていたと思う。
帰り際、店の看板を見たら「銀座 久兵衛」と書いてあった。実は、当時は久兵衛を知らなかった。店に入る前は、くら寿司程度に考えていたので、知っていたらもっと味わって食べていたと思う。
まーそんな事を経て、ヴィーナスフォートにお店を出したわけです。いろいろありましたが、全て良い思い出です。
ヴィーナスフォートのテナントの皆様にもお世話になりましたし、館長をはじめ、クルーの方、運営室の方にも大変お世話になりました。
森ビルさんには、今後も何かしらお世話になるかもしれません。その時は、何卒よろしくお願い申し上げます。
それでは、本日ラストですが、東京スタッフ皆でお客様のお越しをお待ちしております。是非お運びくださいませ。
写真は、10年前の3月8日、オープン当日の様子
こちらは、脇阪さんと辻村さん
ちょっと懐かしい。
それでは、また明日。
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“味平(125)いろいろ”
2月の点邑弁当
いなり大好きです。コンビニのいなりとは全く別物の美味しさ。
おいしいものには、クリエイティブを感じます。
そして、京都高島屋7階催事場では、名物食堂を発見。
ちょっと中村軒のぜんざいでも食べてみよう。
アップで
おぜんざい、大好きです。中村軒のは、やはり美味しいです。
最後は、初めて行ったミディ・アプレミディ。
人気のロールケーキは、僕の前で売り切れました。
でも、このお菓子も美味しゅうございました。
人気店は、一歩店に入っただけでなんとなくわかります。
とても勉強になりました。
それでは、また明日。
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“選sen青山”
昨日をもちまして、選sen青山は閉店しました。
長らくの間ご愛顧頂きまして、誠にありがとうございます。
FROM-1stのテナントの皆さんにも大変お世話になりました。
そう言えばSOU・SOU足袋青山店をオープンさせた時、3Fの店舗から「お線香くさい」というクレームがきたと、岡部から聞いたことがある。「はて?3Fに店舗なんてあったっけ……」と思いながら話を聞くと、上の階のどこかにパリ発のモードブランドが、本来事務所である場所を店舗として営業されていたのだった。
店内でお香を1本焚いただけやで……。いい香りとは言われても、くさいと言われたのは初めてだったので、やっぱこういうところでは理解されないのかなーとか言ってたのを思い出した。
その後、知らない間に退店されていたみたいなので、それからは普通にお香を焚いても何も言われていないみたいですが……。
青山がこんなブティックだらけのオシャレな街になったのも、もとはと言えばFROM-1stが始まりだったそうです。また、選のある2Fの正面は、コム・デ・ギャルソンの1号店だったそう。
いろんな歴史があるこのビルで商売出来たのは、とても良かったと思います。
選の隣には、今治タオルのお店ができています。入ったことはないですが、とても明るくてキレイなお店で、お客様もいっぱい入っておられます。
選の後にもこんなお店が入ったらいいなと勝手に想像しています。
最後は、三谷でお別れです。
それでは、また明日。
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“撮影”
極寒の早朝に皆で集まって
向かうは、世界最大の木造建築、知恩院三門前
ちなみに小さく見える「華頂山」の看板は、畳3枚分の大きさだそうです。
雪がチラつく激寒の中
皆、春夏の装いに変身していく
入念なカメラテスト
すでに足の感覚は無くなっている
遊んでいる金乱倶楽部部長と熟女大好きヨシザキ
喜ぶシーモオーカー
カメラテストは続く
寒すぎて、おばあちゃんになったアラキ
もうすぐ詳細をお知らせ致します。
それでは、また明日。
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“新企画中”
“SOU・SOUへの道(47)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
昨日の続きになるが、エロ本屋になるのを免れて人気セレクトショップになったビルが、退店によりテナント募集になっていた。そしてそのまま半年以上経っていた。
当時、SOU・SOU傾衣は足袋屋のB1にあった。地下に降りていくと怪しげな傾いた服があるというのがなかなかいいと思っていたが、ラーセンにも言われた通り、傾衣というのは他に類を見ない独特の世界観なので、出来ることなら路面店にしたいなと思っていた。傾衣なら、お店の存在そのものがSOU・SOU流の和装のプレゼンテーションみたいなものだ。
そう思っていた矢先、毎日前を通っていた空きテナントの家賃が下がっていることに気づいた。うーん、このタイミングで家賃が下がるという事は「やれ」という事かな……。勝手にそう思って、テナントを借りることにした。
想像通り路面店に移った傾衣は、地下にあった時とは全く違う反応だった。そして、傾衣が抜けた後の地下の店舗は、以前からずーっと考えていた袋物の店、SOU・SOU布袋にした。
SOU・SOUでトータルコーディネートを提案するならいずれかばんの店は避けて通れないなと思っていた。とは言っても、たいそうなかばん屋にしようとは考えておらず、風呂敷が発展したもの─その程度をイメージしていた。あまり作りこんだかばんは、SOU・SOU流の和装に合わなくなると思ったのだった。
SOU・SOU布袋は、ぶっちゃけ言うと傾衣をいきなり移店させてしまったために、ろくに商品企画も出来ないまま先に店を作ってしまったようなもの。なのでこれから商品を少しづつ充実させていこうと思っています。
それでは、また明日。
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“SOU・SOUへの道(46)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
今、京都のSOU・SOUが点在してる裏寺あたりは、昔僕がまだストリートカジュアルのお店をやっていた17、8年前は、もっと怪しげな雰囲気だった。
飲み屋、風俗、ゲーセン、24時間営業のポルノ映画館、放置自転車、そして浮浪者。
若い女性は誰も近づかなかった。
僕はそんな雰囲気が逆に良いと思って、そのあたりにお店を4店舗構えていた。ある日、知り合いの不動産屋から、この辺に3階建てのテナントビルが建つことを教えてもらった。僕のお店とお店の間だった。
そして、すでにテナントのオファーが来ているとのこと。こっそりどんな商売か聞いたら、なんとエロ本屋だった。
ただでさえ、この辺は風俗感があるのに、追加で巨大エロ本屋が出現してしまったら、ますますこの地域がエロ街化してしまう。これは何とかせねばいかんと思い、いろいろ動いた結果、最終的に僕の当時の取引先だった原宿の人気ショップがテナントとして入ることになった。
あぶないところだった。
その頃をきっかけに少しずつ服屋さんが出来始め、若い人も歩くようになってきた。そして、ある日風俗店が1つなくなり、JAZZ BARになった。何年か後に、24時間営業のポルノ映画館がなくなって、古着屋になった。
その間、風俗だけでなく、残ってほしい古い喫茶店や居酒屋もなくなっていった。それらも家具屋、服屋に変わっていった。少しずつ放置自転車もなくなり、浮浪者も歩かなくなり、気がつけば17、8年前とは様変わりしていた。
そして、昨年とうとう最後の風俗店もなくなった。これで裏寺には風俗店がゼロになった。
長い裏寺エロ戦争にピリオドを打ったのだった。
ちなみに、3階建てのエロ本屋になる予定だった場所は、今はSOU・SOU傾衣になっている。
写真はSOU・SOU KYOTO 青山店で使う釜。
これに絵付けします。お楽しみに。
それでは、また明日。
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“再入荷”
“当選者発表とテキスタイル企画”
facebookいいね!1万人突破キャンペーンの当選者を発表しています。
応募数は541名でした。意外に少なかったですね。ちょっとめんどくさかったのかもしれません。次回はもう少し簡単にします。
3万人突破の時かな。(突破すんのかいな)
そして、ただいまテキスタイル企画第七弾予約期間中です。
レース地はカーテン用です。
平織りは最もベーシックな綿布です。シャツやワンピースのような衣類にもお使い頂けます。
帆布は8号です。SOU・SOUでは地下足袋やクッション座椅子に使用しています。
かばんやペンケース等にお使い頂けます。
最近は、手作りする人が増えてきているのか、以前よりもテキスタイル企画の反応が良いです。
よろしければ、この機会にいかがですか。
それでは、また明日。
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“SOU・SOUへの道(45)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
ある日、アメリカからメールが届いた。
内容は、サンフランシスコのジャパンタウンに日本のポップカルチャーの米国発信拠点をコンセプトとした複合商業施設「NEW PEOPLE」が出来るので、その中の雑貨フロアでSOU・SOUのものを扱いたいとのことだった。
その後、わざわざ担当の方が京都まで出向いてくださって、いろいろ説明を受けた。
まー、悪い話でもないし、海外の卸ならいいかと思っていた。
ところがその後、話は一転して、その会社のトップの方から連絡が来た。内容はNEW PEOPLEにSOU・SOUサンフランシスコ店を出店しないかというオファーだった。
話が長くなるので端折りますが、熟考の結果、最終的にその時は出店をお断りした。簡単に言うと時期尚早だと思ったのだ。
しかし、いろんな方が現れて様々な手伝いをしてくださり、気がついたらSOU・SOUサンフランシスコ店は完成していた。
その間、僕は一度も現地に足を運んでいなかった。
なぜ、オファーを断ったのにこういう事になるのか。
それは、オファーしてくださったNEW PEOPLEのトップ、そう堀淵さんの理解不能な波動に巻き込まれてしまったのではないかと解釈している。多分、掘淵さんの周りのいろんな人が、同様の経験をされているはずだ。
しかし、今となっては本当によかったと思っている。同時に、いつかアメリカでカマしてやろうと二人で企てている。僕一人の力は大したことはないが、堀淵さんがいれば百万馬力だ。
つくづく思うのは、人生はどうなるのか本当にわからない。思うようには進まないし、また、思うように進むのが良いとは限らない。そういうことを度々実感してきた。
今後もSOU・SOUはさらに海外へと進出していくのだろう。その時に必要なのは、おしゃれな人でも仕事が出来る人でもない。金乱倶楽部のような傾いたイカレタ連中だ。
世界のトレンドを軽く無視して、皆の視線を集めながら街中を闊歩してくれる傾衣人達。そんな連中が不可欠だ。
「我こそは!」と思う人は是非入部を!
写真は、金乱倶楽部城崎支部長からの献上品。
ちょっと暴走族っぽくなってきてるな・・・
それでは、また明日。
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“BAMBIでおでかけ”
寒い日が続きますね。
そんな日は、BAMBIが一番。岡田テキスタイルのリアルファーと世間の視線で、見も心も熱く過ごせます。
今日のテーマは「名所」
ご近所、錦天満宮
瞬間移動で東福寺の茶室
そして、千本鳥居の伏見稲荷。写真は、奇跡的に瞬間移動したところを捕らえたもの
さらに、瞬間移動で嵐山の竹林へ
嵐山と言えば、渡月橋もハズせない
「スイマセーン」と声をかけられ振り返る
見知らぬ人に記念撮影を頼まれた。そんな時も笑顔で応じるのがBAMBIのオキテだ。
「ハイ、ポーズ」
「今度は、下からのアングルでいきますよ」
求められたこと以上の仕事をするのがBAMBIだ。それにしても、しゃがんだ後姿はほぼ獣だ。
「最後は寄りで行きましょう」
「変な格好しているから躊躇したけど、声をかけて本当によかった」と思わせるのが、BAMBIを着る者の心得だ。
この一家の記憶に永遠に残るだろう。
BAMBIは、あらゆる場面で最高のパフォーマンスを発揮する男の道具だ。
今回は「BAMBI de 名所」をお届けしました。
それでは、また明日。
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